前作がへっぽこオケの再生と言う、はっきりした主題があったのに対して
今回は、ピアニスト・野田恵の破壊と再生を問う哲学的なテーマなので、分かりやすい爽快感は無い。
だけど、重く普遍的なテーマを扱かいながらも
深刻すぎないのは、のだめマジックと言うべきなのかなあ(笑)
前編の時のように、高揚する感情は無かったです。
そのかわり、ずっと胸の奥深いところで、ドラムが共鳴するように
ずっと低く長く鳴り響いている感じです。
『楽しく自由にやりたい』
『音楽と、向き合いなさい』
フーガの主題のように、繰り返し現れるふたつのテーマは。
そのまま、のだめの苦悩に反映し、
千秋もまた、苦しむのだめの姿に、心を痛める。だけど。
「本当は何度も思ったことがある。
あいつは日本で好きにピアノを弾いてたときのほうが
幸せだったんじゃないかって…
いつまでもムリしてつらい道をいかせなくても
あいつが本当に好きな道を選んで
オレはそれを受け入れて
普通の恋人どうしのように」
「それでもオレはやっぱり何度でも
あいつをあの舞台に連れて行きたいと思うんだ」
そんな彼らに、シュトレーゼマンは示す。
本当に必要なのは、満足ではなく歓びなのだと。
満足して、『これ以上の演奏が出来ない』と絶望しても、
自分の演奏を喜んでくれる誰かがいて、ピアノを弾く歓びを分かち合うことができれば、
何度でも、『最高』を越えることができるのだろう。
そしてそれこそが、本当の意味の、『楽しく自由にやれること』なのだと。
表現=音楽と共に生きるというのは、自己崩壊と再生の繰り返しの人生。
音楽のせいで苦悩と孤独に追いつめられ、音楽によって救われる人生。
音楽が、生きることの全てを教えてくれる。
のだめや千秋、友人達の人生を思うと、なんと豊かなことだろう。
それにしても、上野樹里すごいわ。
シュトレーゼマンとのコンチェルトでの、
魚の死んだような目とか。
『二台のピアノのためのソナタ』での、
心からの楽しそうな笑顔とか。
生身の『野田恵』が、そこにいる感じでした。
ところでこの『のだめ』。
拵えとしては、『映画』ではないです。TVドラマの延長です。
思い入れのない人には、ただ単に音楽がダラダラ流れるだけのかったるい映画ですね。
でも、それでいいと、思う。
映画だからと言って、カメラアングルやら脚本やら演技が芸術ぶる必要はない。そして、本質を表現するのに、映画もテレビもない訳で。
TVドラマの時から、『音楽』という芸術と、真っ向正面から、真摯に向かい合っている。それだけで、この『のだめカンタービレ』は私にとって充分に『映画』です。
↓近藤浩平さんのブログ。ヤドヴィについてのことが書かれていたので。
のだめカンタービレ最終章 ヤドヴィの居場所 - 山の作曲家の日記