自分のためにがんばるのは、限界がある。だけど、自分の一番大切にしてるものを、好きだと言ってくれる人のためなら、限界はあっさり超えられるもんだなーとオモタ。
人を遠ざけ、一人で黙々と走り込む駅伝君も、実は自分を好きでいてくれたコーチのために走ってた訳で。自分一人で、早く走れた訳じゃないからこそ、自分が憧れた人のために、何も出来ない自分が歯がゆかったんだなと。なんか、そんな風に思ったですよ。
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誰かの為に生きるって、案外簡単なことで。だけど難しくしてるのは自分のせいでもあり。そんな歪んだ心根に、いろいろ沁みます、てっぱんと言うドラマ。
『10科目のうち、一番伝えたいたったひとつの科目だけに特化して、2,3個を補助。残り7,8を切り捨てる』。そんな拵えのドラマなので、賛否両論喧しいです。普通『10科目のうち、全てにおいて50〜80点抑える』拵えを目指すものですが、そんなぬるいこと全然してません(笑)
でも、そういう点が気に入ってますw
明るくカラッとして、松竹新喜劇のような『てっぱん』。実は、今まで観たどのドラマよりも、死の影がとても強く感じられます。主人公にとっての母親であり、もう一人の主人公にとっての娘であるその女性の死が、全ての始まりと言ってもいいでしょう。
だけど、その影は忌まわしいものではなく、切なく温かい想い出として、登場人物の視線や仕草の中に、気配として感じることができるのです。
食べること、好きなこと、家族の意味、切れない絆。暖かくて優しい『生きる力』の源は、『死んだ人間は、決して還って来ない』と言う厳然たる冷たい事実であること。癒されることのない、深い哀しみに裏打ちされてるからだと思うのです。
今週も軽妙洒脱な展開の中に、「トランペットは、昔から宗教的儀式や軍隊に使われる。つまり、『人の死』に近い楽器だ。それを選んだのは何故か…生きることを応援するためだよ。そのために、君はトランペットを選んだんだ」なんて台詞をさらりと入れてくるから、油断もスキもあったもんじゃありません。
同じ生きるなら、笑って生きる方が良い。だけど、私にはそれが出来そうにありません。どうも性分なようです。隆円の坊さんみたく、自分の煩悩に悶えつつ、足りないことを自覚してカラッと笑って、自分の大切な人達を幸せにするよう導ける『大人』に憧れますよ。