前半の「バルサVS狩人」は4分ちょっと。後半「ジグロの<槍舞い>」1分足らず。たったこれだけにしか過ぎないのに、『プロ同士の戦闘』は全ての印象をかっさらいます。
原作『精霊の守り人』の、大きな魅力のひとつは、戦闘描写の迫力があります。その魅力をいかんなく浚え、映像化した手腕は、手放しで賞賛できるものです。心の底から、「I.G.アニメ化で良かったー」と言えます。
だから。
「これをなあ、もっともっと見たかったなあ」と、未練タラタラ出るのはいかんともし難いでしょう(笑)。制作側の罪ってもんです。この未練を断ち切るためにも、『闇の守り人』を作って<槍舞い>を10分間魅せてください。え? アニメーター死ぬ? 名誉の戦死ですがな!(鬼畜)
戦闘以外でも、走るのは生まれて初めてだろうチャグムの、自分の身体がとても重い『もっさもっさ』した走る動作と、バルサや狩人達の人間離れした疾走感の対比は、何度見ても面白いです。
この頃から、トーヤは「仕事は出来るけど、ちょっと間抜けなお調子者」で、サヤは「トーヤが大好きなしっかりもの」ってキャラ付け出来てるんですねー。ここでは『子供だけど仕事が出来る』ではなく、『仕事は出来るけど、まだまだ未熟』なんですな。
原作から入った身には、このアニメ化補正作業は必要不可欠です。早くまるっと受け入れられるようになりたい…。
こうして考えると、『アルプスの少女ハイジ』とか『母を訪ねて三千里』とかは、あの短い原作からよく一年間話を造り上げたなあと感服です。確か当時は、アニメで原作を知って、放映と同時進行で楽しんだ記憶があります。原作は原作で楽しんだし、アニメはアニメで楽しめた。『別物』とか『話が違う』とか、そういう思想は全く無かったし、子供だからこそ、変な知恵無く、素直に受け入れられたのかもしれません。
そして、オリジナルストーリーを作る為に現地取材して、緻密な構成を重ねて50話を生みだした、当時のスタッフの行動と底力は半端で無かったと、改めて思います。