「あなたが霧の民であることを、私は無視しない。人と違ってていい。それがあなたなんだから」
うおおおお、イイ話だー!(AA略
ユーヤンとの会話に、不覚にも涙した…エリン見て毎週泣いてるなあ、俺。
これは先週エサルが生徒に申しつけた「霧の民であることを無視するように」と、真逆ですね。エサルの言葉は、いわゆる『大人の配慮』であり「出自関係なく、一個の人間として接するように」ということ。ユーヤンの言葉は、エサル先生と本質は同じだけど、もっと人の心に踏み込んだ肯定的なものです。違いを違いのまま、ありのままを受け止める。これって実は、先週エリンが作文で書いた『そのものを知りたい』を叶える、鍵でもあるんですねえ。
ううん、奥が深い…!
初めての集団生活でエリンがぶつかった壁は、誰にでもあるものです。これまで『母と自分』、あるいは『ジョウンと自分』というマンツーマンで暮らし、それが当たり前だったエリンにとって、初めて経験する『たくさんの他人の中の自分』。これまでの常識が非常識となり、周囲に合わせて動かなければならない不自由さを体感するのですが…。
山田ズーニーさんが書いた本によれば、これは「自分が獲得したアイデンティティの否定→崩壊→再構築」というサイクルを経て、新しい環境で生きる術を獲得するのですが。自分が否定されるそして自分で自分を否定するストレスに、耐えられる人はまずいません。
自分のことを分かってくれる人が居なくなり、新しい環境の中で新しい関係を築かなければならない。小学校、中学校、高校、大学、そして社会人になっても。本の知識だけでは生きていけない。新しい規律に従わなければならない窮屈さ。それは、環境が変わるたびに感じるつらい壁です。大人になっても、決して慣れるものではありません。
だからこそ、エリンと同じ心細さを味わったユーヤンの励ましには、どんな薬よりも価値があるんです。
エリンが感じる不自由さは、一種の通過儀礼。集団の中で暮らすこと。これは、人が人として生きる上で、必要不可欠なこと。何故なら『人は、人によって、活かされる(生かされる)』。これは本の知識だけでは、決して得られない経験であり。知識は人によって磨かれ、智恵となるのだから。
まあ、何だかんだで学友とはうまく行きそうですね。『王獣一直線』ってあだ名が付いたってことは、受け入れられた証拠ですしね。みんなイイ子で良かった(^^