ドキュメントで、鍛冶屋の取材に行ってた様子が放映されてましたが、しっかり生きてますね。全編会話劇の今回は、バルサの過去に触れた、要の回でした。
『武人と鍛冶の信頼のもとにつくりあげてこそ名刀はうまれる。人を斬らず業だけを斬る最高の境地のものを作るのが夢』。この、鍛冶屋の夢を軸に、鍛冶屋からバルサの過去=ジグロの境遇、狩人からバルサの現在が語られ、結果、バルサの新しい槍先が生み出される、という今回のストーリー展開。地味だけど、傑作。鳥肌立って泣きそうになっちまった…けど、ラストでおにぎり食って茶を啜ってるタンダに吹いた(笑)。ありがとうタンダ、和ませてくれてw
鍛冶屋の老人の話は、バルサの育ての親ジグロの話。槍を刀に置き換えて話してましたが、話を聞いたバルサの表情で分かります。ここで3話の回想シーンが生きます。戦いに勝った彼が何故泣いていたのか、小さな娘は誰なのか。自ずと答えが導きだされるでしょう。
モンはバルサを一流の武人と認め、彼女の行った非殺の行為をも評価している。モン達狩人がただの暗殺者ではなく、彼らもまた誇り高い武人である一面が垣間見え、人間味が加味された点も嬉しい。
バルサの新しい槍を作ったのは、狩人の言葉と非殺と言うバルサの行為。その行為を行いたらしめたのは、ジグロの生き様を反映してのこと。槍先ひとつにも、重厚な物語が込められているアニメ版『精霊の守り人』。毎回唸るばかりです。
実は、アニメの会話劇は非常に難しいものです。台詞の説得力を持たせる為、より質の高い作画と演出が要求されます。奇抜なカメラアングルで見せる手段もあるのですが、今回は正統なカット割りを用い、レベルの高い作画で見せた手法ですね。
この手法で一番大切なのは、『人間が、人間の質感を持って動く』こと。それが全て。作画が乱れれば存在の信憑性が殺がれ、台詞の重要性が揺らぎかねませんから。8回の作画監督、後藤隆幸で大正解でした(単にローテーションかもしれないけど(笑))。映画の作監を張れる画力の後藤さんだからこそ、地味だけと一定の緊張感があり、画面から一時も目が離せませんでした。
主人公(バルサ)を脇に置き、主人公の境遇が、敵(狩人)と第三者(鍛冶屋)で語られる。演出としては王道、言葉を変えれば目新しいものは無い。だけど、手を抜かず細部まできっちり作り上げると、物語にとてつもない力を与えるのだと思いました。会話劇を純粋に楽しむも良し、深く深く考察を練るも良し。本当に、多角的に楽しめるドラマです。
では、いつもの通りのツッコミ三昧で。