| ジェネオン エンタテインメント 発売日:2007-07-25 | | |
| Amazy |
『人を斬らず業を斬る』
13話を集約すれば、この一言になるのだろうが、時代劇にありがちな、気持ちよく達観した話ではない。むしろ困窮を極め、慟哭しているように思える今回。タイトルは『人でなく虎でなく』。では、人にも虎にもなれないバルサは何者?
8人の命を救う為、彼女は用心棒稼業を選んだ。なぜ用心棒稼業? その誓いは、平穏な暮らしを営むことで、容易に叶えることができるのに。選択肢はあった、なのに彼女はなぜ、槍を捨てない? ジグロへの想いもあるだろう、しかし、本当にそれだけか?
「だけど、あんたは武人じゃないね。(中略)タンダ、わたしはね、骨の髄から、戦うことが好きなんだよ。だから、戦うことがやめられないんだ。むごい運命への怒りなんて、ごりっぱな理由からじゃない。わたしは、羽根を逆立てて、意味のない戦いを続ける、闘鶏と同じなのさ」(小説『精霊の守り人』より)
この、台詞で語られるのみだったバルサの一番深い業を、アニメではカルボと言うライバルを立てることで彼女自身の本性を暴き出す。
チャグムの存在をちらつかせるカルボだが、チャグムは口実でしかない。バルサもまた、『一人を助けるため、二人、三人と恨みを買い足し算も引き算もできなくなった』武人。その恨みの精算とやらに向き合わなければならない。剣客対剣客の、理不尽な闘い。そこに本来、余人の入る隙はない。しかしカルボは、無関係な人間を巻き込みバルサを追いつめる。
今まで見せていた頼もしくも暖かい彼女は、タンダやチャグム、トーヤやサヤの前だから気を許していただけの話。これが、用心棒の彼女の顔。しかし、今回のバルサに余裕はない。素人にすら気づかれるほどの殺気をまとい、指摘されて苦笑する。馬方の少年はそんなバルサを疎み、巻き込まれたことを怒る。
平穏な日常を選べない己の心。闘いの日々に身を置くことで見いだすもの。タンダと共に暮らせない、もうひとつの理由。女である前に、武人の魂が指し示すもの。彼女の誓いが生みだした業、彼女自身が抱える業。ジグロへの想い、チャグムを護る義務。カルボが解放してしまった怒り、苛立ち、殺気、慟哭。バルサと言う人物の中にある、複雑に絡み合ったそれは、とても語り尽くせるものではありません。その、語り尽くせないバルサを、ほんの数秒の『虎の姿』に象徴させた手法。これは視覚で訴えるアニメ(映像)でなければ出来ないと思った。
先生が語ったヨゴの昔話は、中島敦『
山月記』を彷彿とさせます(高校の教科書に載ってました)。怒りにまかせ、不殺の誓いを破ったのか、あるいは自覚して殺さなかったのか。語られずに終わった今回は、一抹の余韻を残します。虎になれれば、迷いも業も断ち切れる。しかし虎になれない、なってはいけないバルサ。人と虎の間で揺れる魂の戻る先は、常に人間側でなければならない。たとえ業と迷いにまみれていても。
余談ですが、アニメ版『精霊の守り人』って、池波正太郎の小説『
剣客商売』の読後感に似てます。観た後胸に残るものの正体をずっと考えてたんですが、今回それに気が付きました。勿論、方向性も描写されるものも全く違うのですが、描きたいものの根幹は同じ方向にあるのかな、などとふにふに考えているのですが。
(7/2追記)叫び足りなかったので、もう一回叫んでみました。下のツッコミ読んでから
こちらへどぞー。
細かいツッコミは後ほど。午後から仕事〜。
(追記):いっぱいツッコミました。今回は、一回観ただけじゃ分かりません。見れば見るほど、はまっていきそうです。それほど深い話になっています。