自分のこだわりを持つのはいいけど、こだわりにすがりつき、周囲と軋轢を引き起こした挙げ句、自分の最も大切なものを失う事例は、枚挙にいとまがない。『自己表現』を甘く見た結果、生きるべき社会(あるいは所属グループ)から弾かれる、あるいは制裁を受ける。特に珍しい話ではない。件の父子問題も、その例に漏れず、俺様流をごり押しした結果、最も大切な「ボクシング」と言う生きる場所を失ってしまった。問題はその後。
とーちゃんは頭が下げられなかった。頭を下げる=「自分の生き方を、自分で否定する」と思ってる。「自分はこれだけ努力したのに、誰も分かろうとしない。自分は悪くない、悪いのは分からないお前達だ」と、他人に責任を転嫁したくなる状況なのは分かるが。虚勢を張って、大きな声で噛みつきまくる、そんな人は実は小心者だったりする。その典型人だったと、自身で証明したに過ぎない。
にーちゃんは、頭を下げた。何十人もの正義を気取った見知らぬ大人に取り囲まれて、フラッシュバシバシたかれて、本当は答えたくもない事を聞かれる。めちゃくちゃ怖いよ。大人でもケツ割って逃げるわな。それでも自分達が引き起こした事態に、自分の言葉で答えることで、ちゃんと逃げずにけじめをつけたし、家族を守った。
責任を取るとは、自分の気持ちをきちんと伝えきること。自分からも、他人からも、社会からも逃げなかった。それだけは、エライと思ったよ。
「『表現』とは、他者の中に、自己を確立していくこと」。他者無くして、自己はあり得ない。彼らは、これから一生を費やして、自分の生き方が正しいことを、行動で証明していくんだなと思ったよ。苦しいだろうけどね。たぶん、この日を忘れなければ、ちゃんと生きられるんじゃないかな。
正直なところ、彼らは登場時から、あまりにもメディアに作られすぎ感があり、スポーツマンという気がしなかった。メディアが仕立て上げ、祭り上げ、都合が悪くなったら手のひら返しで叩く。逆『エレファントマン』を地でいく流れを、醒めた目で見るしかなかった。あの問題を書くことも、お囃子メディアの一端を担ぐ気がして、気は進まなかったんだが。ニュースでしつこく流されるもんだからねえ。