「やっと見つけた私の居場所を取らんといて!」
や、痛かったなあこの叫びは…。
同姓同名と言うだけで、小さな頃から、ずっと比べられて来た。ただでさえ、不器用でうまく生きられないのに、才色兼備で性格もいいその人がおるだけで、自分の嫌な部分が溢れ出してしまう。その人は、何にも悪くないのに。自分が勝手に落ち込んでいるだけなのに。分かっていても押さえきれない。
なのに、その人が無邪気に自分のテリトリーに入って、自分が座るべき席に座り、兄弟子の落語を聞いている。
あんたが居るから、私は『喜代美』でなく、『B子』になってしまう。名前で呼んでもらえない、この、どうしようもないジレンマ。
募りに募ったコンプレックスが爆発したなあ、キーコ…。でも、これで良かったと思える脚本もスゴイわ。中途半端に投げ出してきたキーコが、落語だけは手放さなかった。そして、自分の気持ちを伝えた、手段は誉められたもんじゃないけど。
それでも、「場の空気悪うして、すみませんでした」と、店の人に頭を下げられる人になってきてるやん。人間として成長してるのが見えるのは、嬉しいと思うたよ。
あと、草若師匠と言う『大人』の存在が、場を締めてるのも安心感ありますね。
「キーコ、お前はほんま自分のことしか見えてへんな。お前は落語家に向いてへん!」と、キレ気味に言い放つ草々に、「お前は人を見て、言葉を選んでから、ものを言え」と窘め、自己嫌悪で落ち込むキーコに、一杯のお茶を自ら入れて淹れて、「あの子にはな、心が温かこぉなった時に謝り」と一言。
「お前が悪い」でも「お前にもええとこある」でもない。怒鳴られたり、延々と説教かまされるより効きますわ。『誉めるもけなすも遠回しな人』だから、よけいにね。本物の言葉て、冷たくなった心を、底から温かくするもんなんやねえと、朝から滂沱です。
「ぎょーさん笑おう思うたら、ぽーんと飛ばないかんのやろねえ」と微笑む小梅おばあちゃんの言葉通り、キーコがぽーんと飛んで、壁をひとつ越えた話でした。
でもまだ水曜日なんですけど…あと3日もあるんですが…