10話はお休みしての11話。4月から再放送があるので、欠番は観れたらカバーします。
「開けるなよ? 絶対に開けるなよ!?」って。エリンが開けない訳ないじゃん! なんてダチョウ的展開wwww
今回のポイントは『知識の伝授する、その責任の重さ』。ナツモドキの花の蜜をキーに、『蜜』=『知識』は扱い方によって毒にも薬にもなる、そんな示唆を含んだストーリーになってました。つか、チチモドキがここで出てくるなんて! 油断も隙もあったもんじゃありませんなハハハw
隠された部屋にあったのは、たくさんの書物。知識と情報。それらを伝える為に存在する、書物と文字。それこそが、エリンが食べようとするリンゴ(智恵の実)なんですね。
エリンの利発さを純粋にを可愛いと思うジョウンの気持ち。その子に教えること。知識を授けること。それは教え子の人格を形成すると同時に、知識を得た子が、どういうカタチで社会に影響を与えるのかという二重の意味での責任が生じる訳ですが、それを自覚出来る人は、実は少ないのかもしれません。
エリンに部屋へ入ることを禁じ、師匠に相談するほど彼女へ知識を授けることにためらいを感じる彼に、深い聡明さを感じました。彼なら大丈夫でしょう。間違った道に進もうとしても、厳しくも暖かく糺してくれる『父』になれると思います。
子供の頃から文字の読み書きを教えられ、好きな時に好きな本を読め、ネットで世界中の情報と簡単に触れられる今の私達の暮らしと違い、文字を読むことそのものが、大きな『武器』となるエリンの世界では、知識も情報も私達とは比べ者にならないほど、重いものなのでしょう。TRPGなんてやってると、文字を読むためには高い知力と、経験点を消費して専用のスキルを採る必要があるから、よけいに過敏に考えてしまうのかもw
しかし『知識も情報も、持ち手の器ひとつで毒にも薬にもなる』。これはエリンの世界だろうが私達の世界だろうが、決して変わることはないのです。今でもネットで手軽に拾える情報で、爆弾を作ったり毒を買えたりする。己の無知を自覚できない故の行動の結果、周囲へ甚大な被害を与えたり自らを傷つける例は、枚挙にいとまがありませんしね。
OPで「自らリンゴ(智恵)を食べ、王獣と共に前を向いて歩くエリン」が描かれてますが、彼女が前を向いて歩く為に必要な導き手として、ジョウンがいるんですなあ。彼女の視線の先にはジョウンが居て、さらに師となる人が存在し、そのはるか彼方に母ソヨンがいるんでしょうか。エリンの過去にも未来にも、母は常にいる、決して消えない存在なのでしょう。
お母さんのことは、まだまだ言葉にできないけど、無理しなくてもいいんだぞ。ヌックモックって友達も一緒だしねw
それにしてもエリンの“子供らしい”好奇心と利発さを、一冊の本を用いてソヨンの想い出を織り込みながら描く暖かさ。利発なエリンであっても、読めない文字は存在し、腹痛で苦しむムックとモックを助けられない。“子供ゆえの”エリンの限界を描く現実味。このスッパリ感が好きだなあ。真剣で竹を割ったような爽快感があるぜよ。
ところで、感想を書きながら思い出したのが『悪魔くん・ブラック・ミニオン』というコミックでして。だいぶ昔の作品で、人間に憧れ、地上にやってきた魔界の王子を巡るお話のひとつだったのですが。
人間になりたがった一人の天使が、天界から『ホワイト・ミニオン』と言う果実を盗もうとしたものの失敗、地上に逃げ出し、主人公の知り合いの悪魔を騙して『ブラック・ミニオン』を手に入れ、人間になりすまして暮らしていたのです。
天使は、「ミニオンは単なる人間を隠すための道具だ」と思っていたのですが、実はそれらは人の魂を喰らう危険なものでした。かつてこれらを使い、人々を正しく導こうとした天使と悪魔でしたが、ホワイトに取り込まれた人間は自らの罪の意識に押しつぶされて人格が崩壊し、ブラックに取り込まれた人間もまた、地上に災いをもたらす存在と化してしまったため、神により使うことを禁じられた神器だったのです。
最終的に、主人公達の手で事態は収まり、ミニオンに取り込まれた人間も救われることになったのですが、天界に還る際、天使はこう言ったのです。
「僕は人間が好きだけど、何も知らないがゆえに、結果的に大好きだったはずの人間を傷つけてしまった。今の僕に必要なのは正しい知識であり、間違いを犯した時に、僕を正しく導いてくださる神なんだ」
記憶は曖昧だけど、こんな感じ。間違った知識と思い込みが、多くの人と自分自身を傷つけてしまう、そんな寓話的なお話でした。