今回のエリンを観て、母ソヨンの遺言となった「鋭さを、人に知られてはならない」を思い出します。闘蛇衆の元で育ったが故に見知った知識で、仔王獣リランを助けられる可能性に気づいたエリンに、周囲を見渡す余裕はなく。
エリンの才能を知ったエサルやトムラの反応、そしてリランの生死は、この後の彼女の行く末に影響するのでしょう。
闘蛇も王獣も、この国の根幹を成す生き物。王獣と向き合うことで、何度も繰り返される『責任』のありか。全て、リランを助けたいと言うエリンのひたむきな想いが、エリン個人の内で封じられることは無いということを示しています。
もうひとつ、ドラマの中で語られた重要なこと。
エサル先生の語った「共感と、客観」。共感は『感情』に置き換えれば分かりやすいでしょう。目の前の一匹に想いを重ねると同時に、少し離れて全体を分析する。この、両方を持って物事にあたることの難しさを、エサル先生はよく知っているようです。
大きな判断を成す時、人は感情に流されることを嫌悪する傾向にありますが。逆に言えば、感情を完全に捨てきれないからこその苛立ちでもあるのでしょう。
多くの人は、どんなに理性的に行動するよう心がけても、その行動の根っこにある感情を捨て去ることはできません。
エリンは、自分の中にある音無笛を嫌だと思う気持ち、そして人に飼われた王獣を哀れに思う気持ちを、とても大切にしています。それらは母やジョウンと言った、大切な人々の記憶にも直結しています。
それは、理性の奥底に根ざす感情。この感情こそが彼女の『獣ノ医術師』という仕事に向き合うための立ち位置であって、棄てられぬ想い。エリンそのものと言っても、決して過言ではないと思うのです。
エリンの聡明さは、この、自身の体験に基づく感情を、他者へのいたわりを知る共感の術としていることにあります。自分の感情を大切に抱きながら、感情に流されない強さの源。そんなエリンを受け止めるエサルにも、深い教養を感じます。生半可な人だったら、エリンの言葉を「感傷に流されては云々」と、説教を始めますからねえ(笑)。子供の聡明さは、受け止める大人の聡明さによって磨かれ、育つ。そんなことを思いました。
それにしても、決して慣れぬ動物をヒトの傍に置くことで権威を得るこのリョザ神王国という社会の構造は、どこから来たのか。番組が始まった頃に繰り返し語られた国の成り立ち(神話)は、どこの国にもある国家建立の象徴でもあるのですが、その裏に、どんな歴史が秘められているのでしょう。